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まあ、やっぱり歴史は面白いってな、割と不謹慎な結論で終わるんですがw
70年も経てば、否応無く「戦争」は「歴史」になっていくんだなぁ、と実感しますね。「歴史」に収まるって事は、「後世の学者の分析によれば~」って感じの客観分析の対象になってしまうって事で、そろそろ第二次世界大戦そのものが完全に「過去」になりつつあるんだな、という感慨があります。
つまりそれだけ、第二次世界大戦が「リアル」な世代が居なくなってるって事やな。大学の共通教育でとった東洋史の先生が言ってたんだが、「史料」(歴史的な史実を示す資料?)ってのは、その事実が起きてから50年を超えると「発見」されるものなんだそうですよ。
つまり、50年も経てば当時、その決定や事件に関わった現役世代が舞台から居なくなる。居なくなってからでないと色々と都合が悪い「事実」というのが世の中にはゴマンと存在していて、そういう事実を示す「史料」は、50年後に「発見」される。そういうしくみなんだそうです。うろ覚えだけど。
つまり、それだけの時間が経ってしまったんですよね。
太平洋戦争開戦から70年って事は。
当事者の感情は風化して、客観的という、後世の人々の主観でしか物事を語れなくなる時期が来てしまっている。それは抗いようのない事でもあり、でも、当事者の方々からすればそれはあってはならない事でもある。
たとえ語り継いだとしても、限界はあるのは当然。だって、「感情」なんだもの。体験しなければ分かりえないものでしかない。
逆に、「史料」が出てきて、分析が進んで、「結局それは何だったのか」ってのを冷静に浮き彫りに出来る時期が来るのは必要なこととも思うし。それなくして、結局真の教訓ってのは得られないんじゃないでしょうか。
…………まあ、あれだ。「50年経たないと『発見』されない」って事自体がどうかとは思うんだがな。
経験と共に、感情と共に、強い信念を持って伝えて行かなければならないことと、冷静に、客観的に、当時の利権が過去のものとなった「後世」だからこそ切り込める視点からその事象を分析して将来に生かすべきこと、両方を大事にしないといけないんだろうなぁ、と思ってみたり何だり。
まあ、自分はどっちも「それをどう創作に生かすか」っていう視点でしか考えられない救い難い人間なんですけどねwww
面白いなぁ、と、思います。正直。不謹慎で御免なさい。
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