忍者ブログ

サイト案内・日記・更新情報など。

HOME[PR]つれづれ今更ながら自慢。

◆ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

◆ 今更ながら自慢。

お久しぶりデス。。。生きてます。


えー、非常に今更なのですが自慢をしたいと思います。
もういいかな。改めて許可はとってないけど……。

リンクもしております『sirentonoise』のあずみさんが、創作小説サークル『冬青』として出しておられます創作百合小説ワスレナウタシリーズ。

拝読して勢いででっち上げた……じゃねーや、溢れ出る物を形にした(笑)宣伝文句を採用していただきました。

なんと、この宣伝に。つか、こんな動画が出来る事自体がビックリ仰天(笑)なのですがその中で、超イケボイスで語られる台詞が! なんと、私がアレしたアレのアレンジだったり……(日本語行方不明ww


と、いうわけで。
そろそろ時効かなってことで、拙作の宣伝文を自慢がてらに掲載しまふ。



  其処は、天使の街だった。
  美しく可憐な『少女天使』の歌声が支える、小さくうつくしい街。
  時刻(とき)を止めた、箱庭の世界。

  閉鎖都市・アンジェリカ。

  稀代の歌姫、完璧な天使と名高い美少女、レシカ。
  かつてのライバルでありながら、その侍女として仕える少女、ジラ。

  天使を至上の存在と、その歌に酔いしれる街で、少女は想いに身を焦がす。

  いとしい、ねたましい、こいしい。ほしい。
  ――ああ、この手を、離したくない。

  少女たちの甘やかに、切なく募る想いは、天使の鳥籠を壊すのか。
  絡み合う旋律は、天空と深海を繋ぐのか。

  天使の街で、少女たちの奏でる恋の物語。
  切ないガールズ・ラブ・ファンタジー。



……っていうね! 劇場版予告編を作る気分で一気にこしらえた、ちょっと自分の話には無い感じのふつくしい雰囲気を出したい感じで作った宣伝文。
これが、よくよく確認すれば驚くくらいCMにちりばめられていて慄いた。
特にアレだ。いとしい――のくだりは「あずみさんらしい」雰囲気を出したくて挿入したのですが、それが、台詞になっていたよ。ふはー!



ウチのサイトは、あずみさんの活動域からはずいぶん外れているはずなので(笑)
この記事で作品が気になった方は、ぜひ特設サイトへ行ってみてください! ボイスドラマCMやらテーマソングなんかもあって凄いぞー。今はアマチュアが力を結集すればここまで出来るんだ……!
そして今はツイッタで、テーマソングのボーカルオフバージョン配信されてます。
歌ってみたい方は挑戦してみましょう! 私は……あえなく玉砕しました。あの歌を歌える技量はないよ。いや、歌自体大して上手い方じゃないらしいけど。今回PC録音挑戦して初めて実感する己の下手さ加減。カラオケではマイクの性能に随分助けられてるのねん……。






そして、追記にて(非公開)レビュー。

何だカッコ非公開って。いや、諸々勘案すると大々的に喧伝できるようなレビューじゃないって事です。遠慮が行方不明。配慮も行方不明。ネタバレはギリギリしてないはずだけどね。
まっさらな状態で物語に触れたい方には決してオススメ出来ない(笑)レビュー……って、レビューなんて読んだらまっさらにならないのは当然じゃね? って話は置いといて(笑)
あんまり素直な読み方をしない人間のレビューなのでwwww


まあでも。どうやら物語の完結を楽しみにしていたあずみさんファンの皆様には大体行きわたったようだし、この日記を読む人たちはヒネて重くて複雑で面倒な(笑)私の小説にお付き合い下さるような方々であろうという前提のもとですね、そんな視点での楽しみ方に触れて作品のご紹介をしたいと思います。

ま、元々はただの感想文なんだけどねw



--------------------------------------------------------------------------



『ワスレナウタシリーズ、(非公開)れびゅー』


この物語は「こどもの視点」で書かれた物語である。

著者がつけた表題は「創作百合小説」だ。
百合。つまり、少女同士の恋愛がメインテーマである。

物語はほぼ、主人公であるジラ嬢の視点で語られる。
彼女はアンジェリカという特異な都市に住み、その街の中で特別な存在である天使の歌姫、レシカ嬢の侍女をしている。ジラとレシカは幼い頃、その歌姫の座を争い、そしてジラはレシカに敗北した。
敗北した、というのは単純に審査員達の評価においてレシカが勝ったという話ではない。
歌を志し、歌を支えに幼少期の過酷な環境を生き抜いたジラは、その歌においてその日、レシカに完全敗北したのだ。少なくともジラはそう思った。
レシカの完璧な天使の歌声を前に、ジラの自負、プライドは完膚なきまでに砕かれたのだ。

それから、ジラとレシカの蜜月が――おそらくジラにとっては蜜の中で窒息するような甘やかな地獄の日々が始まる。
自分の存在価値を打ち砕いた少女の侍女として仕える、幾つもの暗黙によって支えられた
――最後まで物語を読み切ってしまえば特にそう感じる筈だ――
脆く儚く、そして時を止めたような、息苦しくも心地良い悪夢の日々。
その中でジラはレシカを、自分を粉々にした「天使」を心の何処かで憎みつつ、
本物の天使のように崇拝してもいる。
当然かもしれない。
自分を踏み砕いた者が低俗では、砕かれた方はなお報われないというものだ。
そのジラのレシカに対する執着は、同性同士の「お友達」の一線を、遥か遠く越えたところにあった。

これをまあ、作品としては「恋愛」と呼ぶわけだが、私個人としては「執着」と呼ぶ方が相応しいと感じている。
それは憎しみであり、嫌悪であり、愛であり、恋であり、崇拝だった。
およそ執着と呼べる感情のほぼ全てをごった煮にして一人の対象に向けた、ジラの「心」の物語。それが本作だと思っている。
形式としてはジラ視点軸の三人称として進むが、読んだ感覚としてはほぼジラの一人称だ。それ程までに徹底して、ジラの眼を通した世界が描かれている。

しかし、その窒息しそうな日々の時計の針は、ジラがどう感じているかはお構いなしに刻々と時を刻んでいた。
二人は成長し、少女から女性へと否応なく変わってゆく。
稀代の歌姫であると同時に良家の子女でもあるレシカには、然るべき相手と縁談がやってくる。
己からレシカを「奪う」相手を前にして、初めてレシカに対する思いと正面から向き合ったジラ。
その想いを告白したジラに対してレシカは言う。「一緒に、逃げよう」と。

話の進行において、レシカの心中は全てその言動から類推するしかない。
前述のように物語は殆どジラの見た世界の中で流れるからだ。
そのジラの見る世界の中のレシカは、あまりに完璧な、いっそあざといまでの「天使」である。
ジラのレシカに対する視線に、多分に崇拝が含まれている事を思えば、その向こう側でレシカに見えている「現実」は随分違うものとも予測できる。
そして、最終巻だけ時折「間奏」という形で他の者視点の三人称が混じるのだが、これがまあ上手く使ってある、としか言えない。
その「間奏」区間はつまり、ジラの居ない空間でのレシカ嬢が描かれているわけだが、このレシカとジラの見るレシカの落差が酷いのだ。
一足飛びに結論から言えば、どのレシカも結局「レシカ視点のレシカ」を全て正確に表すには至っていない
――レシカ嬢視点三人称らしき間奏が一つあるが、あれだけでは全く全容は掴めない――
為、結局最後まで読み切ったあとで、読者が「本当のレシカ嬢」を頭の中で組み立てるしかない。
その賛否は分かれるのかもしれないが、まあ、「読書」という行為にはそういう「類推」や「空想による補完」も含まれると思っているので、こういう部分はあった方が趣深いと私は思う。

第二巻までの筋をざっと追ってこのような感じだが、
最終巻においてその日常は終焉を告げ、新たな「日常」に至るまでのカタストロフィが描かれる。
そして、日常と日常の隙間、切り替え部分の非日常においてまるで舞台の暗幕の端が捲れるように、ジラの前に「アンジェリカの日常」の裏側が姿を現すのだ。
否、ジラは一度暗幕の裏側を通る事で「大人」になるのかもしれない。

この最終巻では、冒頭に記した「こどもの視点の物語」であることがより鮮明になる。
こどもの視点。
それは、幼く純粋な、などというお綺麗なものではない。
言い換えれば「思春期の視点」かもしれない。
見える世界は余りに悪意に富んで複雑で、呆然と立ち尽くすちっぽけな主人公を翻弄する。
はしたなくも別作品を例えに出してしまえば、TV版新世紀エヴァンゲリオンの世界だ。
あの話同様、主人公はマトモに自分の意見も言えずに、周囲に翻弄されっぱなしである。
そして、これも二つの作品に共通すると思うのだが、周囲にもマトモな人間が出てこない。
端役まで含めればまっとうそうな人間は居るのだが、どうにも世界全体が歪んでいるためひどく歪な部分が目に付くと言うべきか。
結局それは、ある意味で主人公であるジラ嬢本人が歪な視界の中を生きているだけなのかもしれない。
この小説の煽り文句の中に「天使の鳥籠」いう表現が出てくるのだが、不肖ながらその文句を捻り出したのは私だったりする。
このとき想像したのは、レシカ嬢を時を止めた「天使」として閉じ込める街アンジェリカの姿だった。
だが、こうして読んでみると、本当に鳥籠の中にいたのは誰であろう、ジラ自身なのだと感じる。
その檻はある意味で、ジラ自身が作り出した心の檻でもあるのだろう。

その主人公の歪な視界が、「歪なもの」として客観的に描かれていない、
もっと言ってしまえば、まるで作者自身の視界がこんな風に歪なのではないかと思ってしまうような、
本当に思春期の少女が描いたような世界が、このアンジェリカには広がっている。
作者に対してかなり失礼な事を言っている自覚はあるが、別にけなしたつもりは毛頭ない。
要するに最近つくられた中二病という便利な言葉に収まる話かもしれないが、
それをとことんまで突き詰めて、自分の中に眠る中学二年生の自分に話を書かせるのは相当な労力を伴う。
かなり消耗するはずだ、と、同じく物語を書く身として思う。

この「こどもが描いた物語」が、それゆえ無価値か。
そんな問いは無粋だ。世を見渡せば、多くの中二に突き抜けた作品が名作として残っている。

そして、やはり「その苦しみの中にある者」にしか救えない苦しみという物があるのだ。
かつて私が女子高生と呼ばれる生き物だったころ、友人にとても複雑な家庭環境を抱えた子がいた。
彼女は端で聞くだけでは真偽を疑うような、酷いエピソードを幾つも抱え、今思えば慢性的な不眠、摂食障害のような精神症状に苦しめられていた。
その子と一緒に、高校の行事でプロの演劇を観た時の事だ。
その演目は「家庭愛」をテーマにしていたのだが、それを観た彼女の感想が、まるで吐き捨てるようなものだったのを鮮烈に覚えている。
曰く、あんなに単純な(おめでたい)モンじゃない。そんなに簡単にいくわけないのに、何もわかっていない……。
反論のしようがなかった。
本当に、その状態――耐え難いような家族の不和の中にある者にしか、その辛さ苦しさは分からない。
ならば、それを知らない者が「家族愛」を書く価値はなんだろう。

彼女は徹底して「愛」に不信を抱いていたため、なにか作品を共有し、そこにお気楽なヒューマンドラマが登場するたびにそういった「そんな簡単なものか」というご意見を聞くことになった。
そして、十六歳の自分は確かに、「その通りだよな」と思ったのだ。
別にそんなに複雑な生い立ちなど背負ってはいないが、それでも少女だった自分はその意見に真実を見出し、安いヒューマニズムに、いとも簡単に示される解決に、違和感と嫌悪を覚えたものだ。
そして、最近になってその頃触れた作品を読み返し、その感覚が消えていることに気付いて動揺した。
大人になる、とはそういう事でもあるのだ。
「大人」の描いた物語は、多かれ少なかれ客観的で、こなれていて、予定調和をもっている。
「そういうもんだ」というある種の「世界に対する納得感」が存在するのだ。
それは、いまだ納得できず苦しんでいる者にとって、酷く腹立たしく厭らしいものだろう。
それが滲み出る作品は、闇の中でのたうち回って苦しんでいる者の所までは決して届かない。

その意味でこの作品は、闇雲な世界に踊らされて、今、苦しんでいる人の心に寄り添う物語だと思う。
大人になってしまった私には、少し胃に重い部分もあった。
あまりに闇雲過ぎて、まるで幾重にも重なる灰色の紗幕の中を掻き分けて進んでいるようにしか現実が見えない様は、息苦しくもどかしい。
世界はそんな、そこまで悪意的なものではないよ。
そう言ってあげたくなる。
それはもう、ジラの視点には立てないということだ。

だが、苦しいながらもジラの傍らに寄り添って共に歩いた世界の中で、
見える一つ一つに共に一喜一憂したのも事実だ。

物語の終盤、一気に舞台の紗幕は取り払われて、世界の姿が露わになる。
見える視界は相変わらずジラ嬢のものだが、そこに現れる現実はそれまで想像できなかった……作者によって上手く隠されていた部分だ。
いやうん、厭らしい大人らしく、この話の落としどころとしてその結末は――その一部は予測していたよ! 
と声を大にして主張したいと思いつつも、途中の仕掛けにコロッと騙されて、話を読んでいる最中はすっかりその可能性を失念していた。
何の事かは作中にてご確認頂きたい。

その露わになったグロテスクな世界の一端を以って、作者が何を表したかったのか。
本作の著者は登場人物の心情に寄り添う事を重視し、あまりくどくどと世界設定を述べないため(私とは大違いである。私はクドクドやってしまう派だ)、その部分は読者が察するしかない。
触れた方は是非そこを掘り下げてほしいと、個人的には思う。

最後に、
ラストまで読めば、なんとビックリ、一番マトモな人間だったのは、最初の頃「嫌な奴代表」をやっていたあの子じゃありませんか!
と、その子に心中で謝ったことを添えて締めたい。
いかにジラ嬢の視界が歪んでいたかがここでも分かる。

それでは皆様、冬の木枯らし吹く夜は、良い読書の旅を。


歌峰由子



以上れびゅーでした。木枯らしが吹いてるのは去年の晩秋くらいだからですw
掲載にあたってもうちょい丸めようかとも思ったけど、やっぱこのままでいいや。読み返してみると、どうやら言いたい事を余すことなく書いているようなので(笑)
PR
■この記事にコメントする
この記事のコメント投稿フォームです。
Name:
Mail:
Url:
Title:
Color:
Decoration: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Message:
Pass:
Secret:  ※チェックすると管理者へのみの表示となります。 
【管理人について】

三十路です。

趣味は小説・絵。ネトゲ。

WJバトル漫画系統が好きです。腐ることもたまにある。
自サイトのお話は基本恋愛と縁遠い感じの活劇? なのが多めでしょうか。

アリプロ・Angela・Mellなど、アニメのOP・EDから大体音楽は拾ってきますw
【Comment】
[04/05 たこやき]
[04/02 神無]
ブログ内検索
Powered by 忍.jp Design by Alphaあるふぁ
Copyright © 2006 Admin Room Some Rights Reserved.
http://nightteaparty.blog.shinobi.jp/%E3%81%A4%E3%82%8C%E3%81%A5%E3%82%8C/%E4%BB%8A%E6%9B%B4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E8%87%AA%E6%85%A2%E3%80%82
忍者ブログ[PR]